キャッチ・ア・ファイア
2001年にジャケットがジッポライターの形をした
紙ジャケットのものが発売。その後オリジナルジャマイカン
ミックスを含むdeluxe editionが発売されました。
ジャマイカンミックスの素晴らしさには感動すら覚えてしまう。
よけいな装飾はまったくなく骨太なサウンドが
全面に展開されている。通常版のギターが前面にでた
当時のギターヒーロー全盛期ならではのものが
今聞くとどれだけ元の音楽を台無しにしていたかということが
今現在ははっきりと確認できる。当時からこの盤の発売までは
通常盤でも、その気迫と骨太なサウンドの強さに
圧倒されてしまっていたが今聞くと音のひずみ
(特にベース)全体の音のトーンと全く合わないギターの音が
はっきりとわかりなかなか聞くことができなくなってしまった。
ジャマイカンミックスは腰の強いリズムセクションに
シンプルでありながら力強いバンドの音が乗り
そこにボブの全身全霊を込めた歌声が乗っていく。
ジャマイカのその当時あった経済的困窮、
そしてそれに伴う社会不安。まったく違う国、
そして全く違う環境で育った日本人である私にも
その状況を訴えかけてくるボブの歌声は言葉が違うにも
かかわらず心に直接訴えかけてくる。ジャマイカンミックスは
レゲエという音楽の宝としかいいようがない。
もしまだお持ちでない方がいて、レゲエという音楽に興味が
あれば聞いてください。1度で分からなければ
何回か繰り返しきいてみてください。音楽の力をこれほどまで
表現しているものはとても少ないです。
中古盤や輸入盤で見つけたら即購入をお勧めします。
ジャマイカから世界に対し本格的にレゲエという音楽が
飛び出したとき、その代表としてこの音楽の宣教師となり、
世界中を飛び回りいまだその影響力が衰えない偉大なる
ラスタマン。それが一般的な印象でしょう。
1945年2月6日にジャマイカで生まれる。
本名はロバート・ネスタ・マーリー
父親は50歳で母親がなんと18歳(!!)だったそうな。
ジャマイカ国内においては10代の頃より活躍し
その当時「シマー・ダウン」等のヒット曲を生んでいる。
この当時はまだレゲエというよりもスカの時代。
その後、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーと出会い
ウェイラーズを形成していく。鬼才、リー・ペリーの下で
レコーディングをしその音楽性を磨き上げる。
一時JADレコードとの契約下で作品を出すが
ありゃりゃ状態。その後アイランドレコードの
クリス・ブラックウェルに見出され世界へと進出していく。
特にエリック・クラプトンにアイ・シャット・ザ・シェリフがカバー
された後はレゲエ不毛の地であった日本でもレゲエが
広がっていく。なにしろ日本ではトリオ(現在ケンウッド)
レコードがトロージャン・レコードの作品を紹介しはじめた
程度に過ぎず(このときアフリカン・ハーブスマンが
発売された)まだまだ一般的知名度はないに等しかった。
その後脳腫瘍にかかり若くしてその人生を終えてしまう。
しかし死後も残された録音から新作が出され続けている。
曲目(ISLAND )
1.CONCRETE JUNGLE
2.SLAVE DEIVER
3.400 YEARS
4.STOP THAT TRAIN
5.BABY WE'VE GOT A DATE(ROCK IT BABY)
6.STIR IT UP
7.KINKY REGGAE
8.NO MORE TROUBLE
9.MIDNIGHT RAVERS
曲目(JAMAICAN ORIGINALVERSION)
1.CONCRETE JUNGLE
2.STIR IT UP
3.HIGH TIDE OR LOW TIDE
4.STOP THAT TRAIN
5.400 YEARS
6.BABY WE'VE GOT A DATE(ROCK IT BABY)
7.MIDNIGHT RAVERS
8.ALL DAY ALL NIGHT
9.SLAVE DRIVER
10.KINKY REGGAE
11.NO MORE TROUBLE
ボブ・マーリーの作品
CATCH A FIRE
BURNIN'
NATTY DREAD
LIVE
RASTAMAN VIBRATION
EXDUS
BABLON BY BUS
KAYA
SURVIVAL
UPRISING
CONFRONTATION
TALKIN BLUES
WAlLING WAILERS AT STUDIO ONE
SIMMER DOWN
ONE DAY OF BOB MARLEY
AFRICAN HERBSMAN
JAPAN
最新更新日 2024年1月7日修正
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