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トーキングヘッズ ショートストーリー |
1977年イギリスでパンクが怒り(起こり)それに対応するような形でニューヨーク・パンクが発生した。(ただしその逆である可能性が高いが)そのニューヨークパンクの流れで出てきたのがトーキングヘッズ。当時はなんでもよかったということがありアート指向であった彼らすら怒れる若者の枠の中で紹介されていた。まあだが内容はパンクとはあからさまに違い、考えた作品が多い。叩きつけるような音ではなく、ビートを生かしつつもしっかりとうたうという流れできっちりと素直ではないく、なんとなく四方が固くがちがちに固まったかのような曲が多いことも確かだ。感性でというよりもきっちりと計算しつつも、何気に感覚で演奏をするという感じで素直な音ではなかったことは確かだ。
その方向が3枚目で一気に違う場所を目指すかのような音に代わっていく。
そう、いきなりのアフリカなのだ。アメリカの中でのアフリカであり、それが彼の周辺でおこりはじめていたのかもしれない。もともとプロデュースにイーノがかかわっていたということもあり、結構、彼にいじくられていたのかもしれない。そのぐらいに変わり者的な雰囲気をかもしだしてくのだった。そしていきなりの志向がまた大きく変化する。当時のエスノ方面への一気の進行だ。
間違いなくこれがイーノの影響なのだろう。
世界中がいきなりのトーキング・ヘッズが注目の状況ができていく。
エスノ・ファンクブームの到来だ。当時の日本はバリ島ブームがあり、ちょうどいい感じのトーキング・ヘッズの方向性がぴったりの状況。
その状況で高校生の私。一気にびっくりだが当時はこれを聞いて、このコピーをやろうぜと周りを誘うが、まあ・・・の状態。そう、日本の普通の高校生の中でこんなものを聞いている方がいかれているの状況だった。そして超大ヒット映画のストップメイキングセンスが公開される。そう、彼らのライブをきっちりととらえた映画だ。その楽しさ、面白さは絶句もの。ここで彼らは一旦頂点に立つ(一部の好きものの中での話かもしれないが・・・)だがその後は・・デビッドバーンの映画志向ということもあり、またその作品が一般向けではないロードムーヴィであったりでブームは次作リトル・クリーチャーズでとまり、実質解散状況になっていく。80年代を語るには欠かせな人物、デビッド・バーン!
いまだに不思議な存在だ。 |
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トーキング・ヘッズの作品 |
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