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ボブ・マーリーのCD
BOB MARLEY
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ボブ・マーリー ショートストーリー

ジャマイカから世界に対し本格的にレゲエという音楽が飛び出したとき、その代表としてこの音楽の宣教師となり、世界中を飛び回りいまだその影響力が衰えない偉大なるラスタマン。それが一般的な印象でしょう。1945年2月6日にジャマイカで生まれる。本名はロバート・ネスタ・マーリー。父親は50歳で母親がなんと18歳(!!)だったそうな。ジャマイカ国内においては10代の頃より活躍しその当時「シマー・ダウン」等のヒット曲を生んでいる。この当時はまだレゲエというよりもスカの時代。その後、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーと出会いウェイラーズを形成していく。鬼才、リー・ペリーの下でレコーディングをしその音楽性を磨き上げる。 
一時JADレコードとの契約下で作品を出すがありゃりゃ状態。その後アイランドレコードのクリス・ブラックウェルに見出され世界へと進出していく。特にエリック・クラプトンにアイ・シャット・ザ・シェリフがカバーされた後はレゲエ不毛の地であった日本でもレゲエが広がっていく。なにしろ日本ではトリオ(現在ケンウッド)レコードがトロージャン・レコードの作品を紹介しはじめた程度に過ぎず(このときアフリカン・ハーブスマンが発売された)まだまだ一般的知名度はないに等しかった。それでもアイランド・レコードにおける彼の作品群が日本発売されいくらかは話題にはなっていった。一度来日しその模様がNHKで放送され、またその時の日本でのライブがほとんどブートレグ状態の音で何故か発売されてもいる。しかし趣味でやっていたサッカーの試合中の怪我がもとでその後脳腫瘍にかかり、何度か復活の噂があったものの体調の悪化が伝えれら、あっという間にヨーロッパの病院で若くしてその人生を終えてしまう。故郷ジャメイカでは政争に巻き込まれていたためほとんど亡命者といった状況の中での死であった。しかしその死後も残された録音から延々と新作が出され続けている。


             ボブ・マーリーの作品

年度 作品名
1973 キャッチ・ア・ファイア
1973 バーニン
1974 ナッティ・ドレッド
1975 ライブ
1976 ラスタマン・バイブレーション
1977 エクソダス
1978 バビロン・バイ・バス
1978 カヤ
1979 サヴァイバル
1980 アップ・ライジング
1983 コンフロンティション
トーキンブルース
THE WAILING WAILERS AT STUDIO ONE
シマー・ダウン
ワン・ディ・オブ・ボブ・マーレィ
アフリカン・ハーブスマン
JAPAN




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最新更新日 2021年8月22日

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